坂村 健
東京大学名誉教授
TRONイネーブルウェア研究会会長
この11月に開催された東京2025デフリンピックを契機に、聴覚障碍者スポーツへの関心が高まっている。そのデフリンピックがパラリンピックと大きく異なる点は、選手に身体的な運動能力のハンディキャップがないことだ。短距離走など、スタートの合図さえ適切に伝われば、健常者とまったく互角に競うことができる。つまり、ここでの課題は身体機能の補完ではなく、純粋に「情報伝達のバリア」にある。
この「情報伝達のバリア」を解消するうえで、昨今急速に発達した生成AI技術は極めて親和性が高い。リアルタイムでの高精度な音声認識や手話翻訳といった技術は、競技進行や観戦における「音声言葉の壁」をほぼ取り払う段階に来ている。
しかし、スポーツには言語化できないさらに深い情報が存在する。背後から選手が迫る、いわば「殺気」や、スタジアム全体を包む「熱狂」といった感覚的なノンバーバル情報である。聴覚障碍者はこれらを直感的に感じ取ることが難しく、これが競技上の不利や観戦体験の孤立につながっているという本質的な課題が残る。また、健常者の観客にとって、無音の競技観戦に「ノレない」理由にもなっているのだろう。
本講演では、生成AIを単なる文字変換ツールとしてではなく、こうした「見えない気配」や「場の空気」を視覚や触覚へと翻訳する新たなモダリティとして捉え直す。音を視て、振動で熱狂を共有する技術は、障碍者支援の枠を超え、健常者にとっても未知のスポーツ体験(拡張体験)をもたらすだろう。「伝達」から「共感」へ。テクノロジーが拓く、すべての人が同じ熱狂の中にいる未来のアクセシビリティについて論じたい。